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TATSUO NISHIURA 西浦達雄 オフィシャルウェブサイト

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No.551 Date2008/ 8/ 3[SUN]8:32
Title私と甲子園④ Contributortoki1990(yoshiaki)
むりやり甲子園の世界にはいっていった自分はいつしか甲子園の生き字引とか女神とかといわれるまでになってました。甲子園=自分の庭
とまで想いこんでました。自分自身もはや関西の人間以外何ものでもないとまで考えてました。
昭和58年、大学1年の夏、祖父が病気となり甲子園の期間中はほとんど和歌山にいました。準々決勝戦をみにいきましたがこれが夏はまだ3回目でした。和歌山では朝日放送ばかり見ていました。
その時の決勝戦、中継した植草アナウンサーが閉会式の選手の場内一周でこう実況してました。
「甲子園は開会式が出会いなら別れは閉会式です」
この言葉はすごく気になっていました。
自分自身にとってもこの年は出会いと別れを味わいました。

一人は自分より6歳年下、もう一人は自分より10歳年下の従兄弟との出会いでした。当時中1と小3の男の子でした。田舎らしい素直で純朴な子でした。都会の同級生と違ってなんと可愛いんだろう。
昨年の開会式のときの「私にとってのそうだろう・・・」でもコメントしましたがものすごいときめきを感じました。禁断なのですが恋みたいな状態になってしまったのです。
その一ヶ月後の9月、89歳の祖父があっという間に世を去りました
。そして2人の従兄弟との別れの日、こっそりと涙してしまいました。

後に植草さんの著書「球児たちよ永遠に」で植草さんがこのことについてこう触れていました。初めて生まれた娘が予後不良で生後75日でこの世を去ったこと。そしてその後まもなくの甲子園の開会式の中継で、放送中涙したこと。選手たちは健康なのにどうして自分の娘が
・・・と思ったむなしさ、嫉妬心・・・。

自分にとっても人生は出会いと別れの連続だったかもしれない。小学生のとき自分が和歌山のことが好きで和歌山からもどってきた後の新学期の1ヶ月くらい泣いていた記憶。かわいい従兄弟たちと別れるときの寂しさ。植草さんが出会いと別れと放送で口にするたびに自分自身の心が震えるほど感動した日々。今からふりかえると「瞬間」のなかにある、数え切れぬほどのかけがえのない大切な日々でした。

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11 Re: BBSの復活、おめでとうございます! なき 2005/ 7/14[THU]22:09
10 BBS復活! 良かったぁ♪ ぷぅ 2005/ 7/14[THU]12:38
9 BBSの復活、おめでとうございます! かなぶんぶん 2005/ 7/14[THU]9:33
8 教室の黒板に西浦さんの詩が。 徳田達郎 2005/ 7/14[THU]4:19
6 今年の夏も熱くいきましょう! THP 2005/ 7/13[WED]19:49
5 よかった! 野球のマネ 2005/ 7/13[WED]17:11
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